雑談:精神科医目線で語る日本のおかしなところ
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- Опубликовано: 9 фев 2025
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00:00 OP
02:52 人権意識
06:44 思いやりと「甘え」
10:09 忖度
12:21 過労死、切腹、恥と世間
15:04 萌え→推し
本日は「日本のおかしなところ」というテーマでお話しします。
この動画は前回の動画のちょっとした続きになります。
前回の動画は見てもらわなくても内容は繋がるのですが、もし興味がある方は前回の動画、国連から日本の分離教育、特別支援教育のあり方や、長期入院、措置入院のあり方を指摘された、というニュースに基づく話を見てもらったらと思います。
今回はその動画の半分続きみたいな感じです。
日本のおかしなところ、というテーマで色々思うところを喋ります。
この動画の内容を踏まえて、皆さんからコメントをもらいたいと思います。
コメントを見ていろいろ議論をし、これってどうなのかなということを深めていきたいと思います。
どうしてこの動画が大事だと思ったかというと、カウンセリング、いわゆる精神療法をしていて、日本のおかしなところというのが結構ハードルになるのです。障害になります。
だから困るのです。
僕は臨床していて、好きだからというのもありますが、毎日勉強をしています。
海外の症例や海外の技法、偉い先生のインタビューなどできるだけ読もうとしているし、できるだけ英語で情報を得ようとしてます。
今はDeepL(翻訳ツール)もありますから結構簡単に取れるので、できるだけそういう風にしようと思っています。
ですが、そのままやろうとすると、患者さんとバッティングします。
それはどうしてかというと、患者さんたちが思っている常識と僕が考えている常識、こうあった方が良いだろうという理想が結構ずれているからです。
欧米的な先生たちの美しさ、素晴らしさを目の当たりにし、そこでの患者さんとのやりとりを僕が吸収して日本にそのまま持ってこようとすると、絶対ぶつかります。
ぶつかる原因が何なのか日々考えたりもしているのですが、そのことをお話しします。
■人権意識
まず人権意識です。人権意識は違うなと思います。
前回から引き続き、人権意識が違うということです。
人権とは何かというと、皆さんは「誰もが平等で幸せに生きる権利がある」「平等に教育を受ける権利があって病気を治療してもらう権利がある」ということを言うと思います。
そうといえばそうだし、結論はそれでいいんです。
ですが、そもそも人権はどうして生まれたのかということはあまりご存じない方が多いと思います。
人権とは何かと言ったら、簡単に言えばフランス革命を中心とした「国家 対 人民」の争いです。
だんだん人間が技術を高めていって、市民階級が豊かになっていった。
そういう中で戦争には行くし税金を納めているのに「何で国家の言う通りにしなければいけないんだ」と思うわけです。
国家の言う通りにして、王様の言う通りにしていたら損じゃないか、みたいな話になるわけです。
それで争って、人民が勝利を勝ち取りました。
我々は義務と責任を果たす。
戦いにも行くし税金も納める。
だから国家運営に対して意見を言わせろ、ということです。権利ですね。
人権とは何かというと、この「権利」と「義務」なのです。
だから最初は男の人だけでした。
戦争に行く、税金を納めている、働いているのが男の人だけだったんです。
最初はお金持ちの一部だけだったのが、「いやいや、前線で戦ってたのは俺たちだけやんけ」という形で男性にも広がっていき、そして「戦ったり税金を納めるとか、それらはみんなの下支えがあるからじゃないか」という形で女性にも広がっていく。
それに伴い人種差別の問題も問われるようになっていくし、障害者のあり方、LGBTQのあり方も問われるようになって、だんだん人間の平等など皆さんが知っている人権意識に発展していきます。
けれども前提はそもそも国家対人民、つまり権利と義務なのです。
この権利の部分だけは知っているけれど、義務と責任がセットなんだという感覚は持ちにくい。
妙に隠蔽されているというか、知らされてない、教わってないことが多いかと思います。
それは陰謀論的に言うと、僕はそれを信じているわけではないですが、やはり愛国心を育てる教育がアンタッチャブルな感じになっている。
それは敗戦国だからなんじゃないの? アメリカの属国だからじゃないの? と言われたりしますが、色々な要素が絡むと思います。
日本の文化やカルチャーに合わないというのもあると思います。
でもやはり義務と責任というのが本当はセットで、そこはなかなか思わないみたいです。
何か良いことがあると、反面、義務や責任が生じるんだ、と反射神経的に思うのが欧米のカルチャーなのかなと僕は個人的に思っていますが、そういう感覚がないのです。
してもらったら何か返さなければいけない。
すぐ返さなければいけない。
それは自己肯定感が低いというのではなく、単純にこの義務と責任というのがなかなかイメージしにくいのかなといつも思ってます。
■思いやりと「甘え」
日本人的なあり方というのは、やはり「思いやり」と「甘え」の精神なのです。
国家運営のあり方も長らく封建制が続きましたし、思いやりと甘えの関係によって成立している感じがします。
アジアのカルチャーというのがそもそもそうだと言われたらそうなんですが、君主関係というか、互いの愛情関係によって成立するのだというような思いがあるようです。
国家対人民みたいな血なまぐさいものではなく、上の人が部下を思い、部下は上司を思い、君主は人民を思い、人民は君主のことを尊敬して成り立つというようなカルチャーがある。
それは母子関係の拡大なんじゃないか、という風に考えられたりしているようです。
これを『甘えの構造』と言ったりするのですが、「甘え」という言葉自体が日本語的な言葉で、英語に訳しにくいです。
「甘え」というのはお母さんに甘えるという感じもあるし、抱きしめてもらうとか、母乳を飲むというか、その甘さというか舌に残る甘い感じ、子どもが好むような感じ、そういうことなのです。ビターじゃないというか。
それが大人になっても使われている、公然の言葉としてこんなに普及しているのが日本らしさであり、日本の特殊さ、異常さ、奇異さなんじゃないか、ということを土井健郎先生が仰ったということです。
言語は社会的な無意識を反映させるという考えがあります。
つまり、言語や風習、こういうものを「構造」と言いますが、人間は構造によって支配されているというのが構造主義という哲学の考えで、今でもなお有効な哲学的な概念です。
まあ、それはそうですよね。
僕らは知らないうちに常識に縛られており、知らないうちに言語や風習に縛られています。
なぜ僕らは理由もなくご飯が好きなんですか?
理由もなく、納豆が好きなんですか?
それは昔から食べているからだ、と言ったらそれまでで、そういう支配構造にあるわけです。
我々は普段使っている言語によって無意識的に支配されているし、この「甘え」という言葉があると、「甘ったれるな」や「甘えてもいいんだよ」など、こういう言葉によって支配されているということです。
これと対をなす言葉というと、いわゆる生物学的な無意識というか、脳が持っている特性が故のバイアスだったり、本能とか言ったりします。
脳が持っている世界中で見られるようなバイアス、例えば白黒思考、疲れていると被害的になってしまうというバイアス、物事を単純化しやすい単純化本能、敵味方を分けやすい等々、色々な脳のバイアスがあります。
そういうものもあれば、言語によって縛られているバイアスもあるということです。
■忖度
日本語特有のバイアスとは何かと思うと、これも結構珍しいなと思うのは「忖度」です。
上司が「これをしろ」と言っているわけではないのに、部下が上司の気持ちを推し量って悪いことをする、気を利かせて何かをするということがあります。
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人権意識と精神科の問題、分離教育、教育入院、カウンセリングが根付かない理由など
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【精神科医がこころの病気を解説するChとは?】
一般の方向けに、わかりやすく、精神科診療に関するアレコレを幅広く解説しています。動画における、精神分析や哲学用語の使用法はあくまで益田独自のものであり、一般的(専門的)な定義とは異っているところもあります。僕がもっとも説明しやすいとたまたま感じる言葉を選んだだけなので、あまり学術的にとらないでいただけると嬉しいです。
早稲田メンタルクリニック院長 益田裕介
【自己紹介】
益田裕介
防衛医大卒。陸上自衛隊、防衛医大病院、薫風会山田病院などを経て、2018年都内で開業。専門は仕事のうつ、大人の発達障害。といいつつ、「なんでも診る」ちょっと変人よりの町医者です。
趣味は少年ジャンプとお笑い。キャンプやスキーに行きたいです。
2020年6月5日より断酒継続中。
【参考】
厚労省みんなのメンタルヘルス www.mhlw.go.jp...
カプラン 臨床精神医学テキスト第3 www.medsi.co.j...
倫理規定について note.com/menta...
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スペインとポルトガルに留学経験があります。
向こうの人に一番たくさん言われたのは「君の黒髪も切れ長の瞳も、白い肌もとても魅力的だから、ありのままの君を大切にして生きていきなさい。整形する日本人たくさんいるけど君は美しいと思う」と。
音大生のときは教師にブスだのバカだの言われて傷ついていたので、本当に救われました。
ありのままの自分を大切にするので、障害のある人やお年寄り、LGBTQの人も伸び伸びと生きていました。
とても住みやすかったので、永住したかったです…
動画ありがとうございます
日本の教育は、頑張ること、努力することが素晴らしいという感じで、つらかったら逃げることも大事なことや、いかに息抜きするかが大事というのは、教わらないように思います。
社会人になって、体調崩して気付くというか…😅
アメリカ在住のセラピストの行動療法はかなり過激に感じたけれど、
治りたい、治る!と、決めたらある程度は自分を変化させることは必要だと思った。
だから心素直に続けてみた。
私にはかなりよかったです。
楽になりました。
いつも見る景色が変わりました
コントロールされ続けた重いものから大きく解放されました。
カウンセリングよりは短期に過激に変化できました。
私には合っていたのか?それとも
洗脳的に素直だったかもしれない?
でも根っこはカウンセリングのドクターとおなじだとおもいました。
自分のピースを真ん中に置いて生きること。
「あなたが変化させたいと思う事はそうすればいいし、変わりたくない
自分が築いたことは従わなくてもよい」といってくれたドクターがいて幸せだった。
つまり私はチョイス出来ていたのかな?
子育てにはとても役立ちました。
益田先生は多角的によく勉強しているのがよくわかる。
私は親と実家を捨てました。
私は親不孝娘になったけれど
私はもうバァバだもの…
ヨイコしてるうちに
親より先に死んでしまうのは
悲しいです。
早く自分を可愛がってあげなきゃ
時間がないとも思っています。
益田先生、興味深い話題をありがとうございます。
心理教育でアサーティブトレーニングを受けた経験があり治療効果に疑問を抱いています。「私は〜思う」の言葉遣いが推奨され参加者の多くは恥ずかしそうでした。主張する勇気自体が課題のようにも見えました。
私は英語圏からの帰国子女です。頭の中に英語が先に浮かび日本語に訳して話す習慣があるので、普段から「私は〜」と言っています。そのおかげか大うつで入院していましたが、寛解して社会生活を送れています。
「はい」「いいえ」もはっきり言い、結論から話します。『空気を読む』より『空気を変える』傾向があります(無理強いはせず、誘導するよう心がけて)。親は転勤が多かったので、一つのコミュニティーから離れる事に抵抗はありません。
日本文化(言語の構造)はなかなか変わらないとの声もありますが、近い将来、変わると感じます。例えば、私の周りは帰国子女と日本育ちの日本人と外国人の数が1:1:1です。互いに影響を受け、「私は〜」口調が多用され、心地よく暮らしています。
初めまして。先日アメリカから帰国した者です。
「言語は社会的な無意識を反映する」に大変共感しました。日本は治安が良くてご飯が美味しくて素晴らしい国です。しかし先生が仰るように、海外からしたらおかしなところもありますよね...日本人として誇らしいですが、幼少期をアメリカで過ごしたため、日本や日本語の文化にずっと馴染めずにいた自分もいて、帰国してから尚更自分のことが分からなくなり頭が混乱している状態です。このタイミングで本動画がアップされて有難いです。
療育現場です。先日の国連からの勧告は正直ショックでした。でも、前回からの先生のお話を聞いて府におちました。頭では分かっていても心が動かないことがあるように、心で感じていても頭では理解できていないこともあることに再度気づかされました、ありがとうございます。
恥と世間て、すごくわかります。なぜ虚構に縛られているのだろうか。
日本という国を客観的に見てる気分になれて面白かったです。言語は社会的な無意識を反映する、というところ興味深かったです。益田先生の哲学的思考を取り入れながらの解説は、精神科以外での悩みやトラブルへの応用もできるのでとても参考になります。ありがとうございます。
益田先生と同年代ですが、高齢層と若年層で精神文化も違ってきてるし、これからの日本は確実に変わってくると思います。
凄いですね
TVとかでたまに政治や教育論をペラペラ討論会みたいなのやってますけど益田先生に参加していただいて教育論を唱えて欲しいです。
今、社会、教育、色んな面で日本の在り方を考え直す時だと思います。
動画ありがとうございます。教育が子供たちをエンパワーするのに失敗しているような気がします。一人一人が力を持っている。その力を正しく使う。そういう教育が足りないのではないかと。自分の力を信じる部分もないと精神疾患もよくはならない気がします。順応するかキレるかしか選択肢がない教育システムではそれは学べないのでは。
日頃から、深い傷になったり助けられたりする言葉には興味がありました、
言語バイアスについての先生の持論に、言葉の側面を感じ面白かったです。
個人的には日本特有の曖昧な美しい響きの言語に、芸術性を感じます。
オタク文化は、情熱が凄くて楽しそうで良いなと、思っていますが、
キャラクターに幼児性を感じる物もあり、成熟した社会が苦手な人の多さに驚きます。
どう観られるかなどの、小さな近所のコミュニティから学校〜社会、、、
“あァー面倒さい”と言いながら、
巻き込まれず流されすぎない所を、見つけて歩いている感じです😅
過労死は、恨みをはらすためではなくて、残業や仕事を断わることが出来なかった結果そこに至ってしまったことかと思います。断ることが苦手な人、私もですけど日本人に多いと思います。
切腹は、その当時の責任の取り方の一つだったのでしょう。外国からみたら信じられない文化のようですね。
マゾヒスティックな復讐心というお話わかります。私も学校の辛さがあるラインを超えるともう病んで死んで周りに見せつけてやるという思いでした。特に家族に。直接恨み言を言わない、言えないところが日本的なのかもしれないですね。
自分を表現すること、少しでも周りと違うんじゃないかと思うことをすることにすごく恐怖を感じます。でも、自分の中でしたいこと、したくないことははっきりしていて。そこが苦しいですね。
日本のポップカルチャーでの「萌え」対象が年上や上の立場では設定されていないのが不思議でした、推しとして設定されているのがとても若い少年少女なので大人や老人が萌えの対象にならず自分よりも弱い存在を萌えとして必要としている理由は何故だろうと思っていました。
人対人のフェアな視点ではない萌えは成人の基本である互いの対等な関係が存在していない搾取としての関係と言えるかもしれません、子供を子供として扱わない萌え文化が奇妙に感じます。
萌えや推しも海外のオタクにもあるのですが根本的に日本で聞く萌えと欧米のオタクに聞く萌えは違う感情だと彼らの話を聞くと感じる事が多いです。
過去に村上龍さんのエッセイを読んだ際に「昔は良かった」という、繰り返し世間に漂う発言に対して、「本当に昔は良かったの?」という問いかけ(よくないでしょ)を何度もしていたのを思い出しました。これからの日本はどんどん貧しくなると思うので、その時に社会が逆行しないように(成田氏の老人消去システムとか)、大胆改革で取りこぼされる人が出ないように目を光らせて、できれば行動していけたらと(私、社交不安障害だけど(汗))思いました。
こんばんは。病気になりたての頃はまだ学生で周りもあまり認知してないような風潮もあり、ただただ生きにくさを[田舎だから』と思っていましたが先生の話はとてもわたしが感じていたことを言語化しているようで、たくさんの人に見てもらいたいと思いました。抽象的な日本人に、いつか自分が染まっていて苦しみを生む立場になってないと思いたいですが、今の子供たちからしてみれば、やはりわたしも『日本人の壁』になっているような気がします。気をつけて接していきたいです。
忖度したんでしょ?って実際に一生懸命やってた時に言われたのは面白かったですね。笑笑☺️
やっぱり他人って自分とは違う人間なんだなって思いました。笑笑😂
今回の動画、益田先生の思想が少し垣間見えた気がして、興味深かったです。特に、自分が義務・責任を果たさずに権利ばかり主張している人間なのだと気づけたのが良かったです。少し話が違うのかもしれないけど、短期留学をしたいのですが親に全否定されるので、費用を全て親に出してもらおうとするのではなく、無理をしない範囲で自分でも稼いでしっかり主張できるように頑張りたいです。
義務教育が変わらない間は変えることは難しいと思います。教育の変え方や変えるところもいろいろあり大変そうです。1つの例としては部活の先輩に従う文化。
昨日と引き続き、濃密にぎゅっと詰まっていて。。これだけのお話を無料で聴くことできる世の中になったんだなぁ。。
と、益田先生の動画を観るとよく思います。
丸一日、診察をされていて、どこにこんなにお勉強をされる時間があるのだろう。。
個人的には、バカ殿文化の次は
タモリ論をお聞きしたかったりします。。
「やる気のある者は、去れ!」
が大好きなのですが
益田先生なら、どんなふうに解釈されるのかな。。
話がアチコチ飛んで、スミマセン。
我慢できる人と頑張れる人にどうしてもしわ寄せがいっている現実があります。このことをどう受け止めたらいいかわかりません。
思いやりと甘え、まさにそうなのでしょうね。持ちつ持たれつのような関係?も甘えからくる言葉なのでしょうか。
解説、ありがとうございます( ´∀`)
私は最近、仕事に悩んでいる方のカウンセリングが出来る資格を取得したのですが、ここで勉強した中で、「自己一致」の概念が私自身無かったことに気付きました。
気づいてからは、私がやりたくない仕事を「やりたくない」と意識し、分かっていながらやっているか?
慣れた仕事も、無意識で行わないよう、自己構造と経験が一致出来ているか、心で確認しながら行っています。
考えることが出来る動画提供、ありがとうございました😊
抽象的な言い方ですけど、社会が安定している時代は日本人の「思いやりと甘え文化」や「お互い様文化」が全て良い方向に転がるけど、不安定な時代になると途端にみんな不寛容になりグダグダ総崩れみたいになりますよねぇ。
日本人のエートスだからなかなか変えづらいけど、意識していくしかないですよねぇ。
私も日頃からこう言う事を考える事が多いです。私はASDだからなのかは分かりませんが、日本で育ったのに人権意識が強く、お医者さんが勝手に治療方針を決める事などにいちいち引っかかるし、今の感染症への国民の対応を見ていても、誰も責任を取らない社会である事が事態を複雑化させおかしな方向へ向かわせている様に映ります。日本は元々の構造から大きく個人主義社会へと舵を切ってしまっているので、昔ながらの甘え支え合うスタイルは不具合が沢山出てくるのだと思います。時代の変化に伴い権利と責任、人権意識の教育は必要だと感じています。
一般に言われる日本観って明治時代以降に成立している気がするんですよね。新渡戸稲造の武士道とかで美化しすぎた日本像が、なぜか「我々は昔からこうだった」みたいに捉えられる。恥の文化なんてのも果たしてどこまでの過去の距離感から推察されているか疑問です。
動画内で戦後の占領に端を発するお話をされていますが、まさに言い得て妙で、国民性だの文化だののように一般化した言葉を使っていてもたかだか数十年の話でしかない。
地方では平成まで人身売買と座敷牢がありましまたし(令和もあるのかもしれませんが)。
そう思うと、我々が文化だの社会構成主義だのと呼んでいるものはこれからいかようにでも作り上げられるという希望も包含してる感覚になります。
日本人に「人権」は難しすぎるんだと思います。
民主主義もアメリカから与えられたものだし。
他国のように、市民たちが自力で勝ち取ったものとはちがう。
発達障害当事者で、どうにも日本のムラ社会的なものを好きになれません。
ので、今回のネタをもっと詳しくお聞きしたいです。
出る杭は打たれる、を日常的にされてるからそれを別の対象に向けることでストレス発散する。
この流れはどこかでせき止めなきゃ負のスパイラルになる、でも何も抵抗しない人に対して執拗に攻撃する人はいる。
いじめや誹謗中傷に通じるものを感じます。
我慢する行為を、「勝手にやってること」とか「善意」とかで片付けないでと思いますね。
すごく納得しました。
また住んでる土地の気質や風土、言語の持つ性格なども民族に与える変化が大きいと思います。
すごく共感させて頂きました。
すごくタメになった…!
自分自分の小さい範囲でぐるぐるしてるけど生まれた土地の暗黙の了解とか、植え付けられて疑う余地もなかった常識とか、そういうもっと大きくて広い視点で考えると少し楽になりました。
日本の風土が、暴力・抑圧で他者の秩序を守る権威で支配する手法なので人は依存、甘え、幼稚さが強くなるかと素人なりに個人的には感じてました。
依存、甘え、幼稚さはひっくりかえると支配する側にも繋がりますから、その連鎖の悪循環で、人権は蔑ろなままで今に至ってるように感じました。
変わらなきゃいけないタイミングだと思ってます。
こちらの動画さんはいろんな世界のことが語られていて、非常に興味深かったです。益田先生はイマジネーションのある方だなぁと思いました。
とても学びになりました。これから変えていきたいと思う部分もありますね😕
例えばインドの発展において強固な足かせとなっているのは「カースト」及び 「ジャーティ」だと言われている。これは凄まじいほどの影響力を持っていて、現地のクリスチャンやムスリムでさえ結婚相手を選ぶときには、結婚相手のもともと所属していたカースト及びジャーティをかなり気にするという。
一方、日本の発展の足かせとなっているのは「"世間"という荒神を御神体とする縁故主義」つまり「世間教」であると私は思っている。これもインドの「カースト」「ジャーティ」よろしくかなりの影響力をもっていて、"イザヤ・ベンダサン" こと山本七平氏は「日本人で純粋なクリスチャンは居らず、あくまで"日本教キリスト派"なのである」と主張するくらいに、日本人の精神の髄に染み付いてしまっている。
そしてそんな「世間教(山本氏の言う"日本教")」の呪縛から我々患者が解き放たれるためには、結局のところ「おかしいモノには『これはおかしい!』と堂々と主張するということ」が第一ステップとなるわけで、またこれを実行するにはやはりそれなりの「勇気」が必要なのであり、その「勇気」を醸成し潰えさせないためにも益田先生のオンライン自助会は大いに利用する価値はあるものだと私は感じている。
動画、大変おもしろく拝見しました。
日本社会にある「甘え」…
動画の主旨とは合わないかもしれませんが
コミュニティに「甘え」が機能しているのに
個人に問題(疾病や貧困etc)が発生した途端に
「甘え」が機能しなくなり「自己責任」の名目で
コミュニティから排除する
そのあたりが日本のムラ社会ゆえなのか欧米でもそうなのか
気になりました
失敗と挑戦というのもテーマであると思います。
失敗に対して批判が多い気がします。誰しも失敗はするものですが、許せない人が多い気がします。当たり前ですが、失敗しないと成功に結びつきにくいと思います。挑戦するのに多くの勇気がいるのは難しい社会ですね。
話であった、恥や世間の圧力も影響しているのかもしれないですね。
個人的には、(再)挑戦する人を称賛する文化が根付いて欲しいと思います。
回り回って、考え方、行動変容に結びつき、治療に取り組む人が勇気づけられると思います。
現状維持バイアスに打ち勝つためにも、社会全体が変わってほしいと思います。
権利と義務 自由と責任 懐かしい言葉の対比ですね🎵高校生の時に習いました、通常だと倫理社会の科目で扱うかなと思いますが、聖書の時間に学びました(キリスト教の学校だったので) 従ってこの論理的思考は西洋式考えなのかもしれません、あの時学べて良かったと思っています 60歳になった今も使い続けている考え方です。
甘えと思いやり=おもてなし文化を生んだかな?と思います 良くも悪くもオ・モ・テ・ナ・シですね、ディズニーランドを日本に誘致出来たのもオリンピック誘致も本部の人達を随分おもてなししたから決定した事 今から随分前に書かれたディズニーランドが何故日本に誘致出来たか?の本に書かれていました、ということは日本人に限らず甘えと思いやりのホスピタリティーを人は望んでいて、それが義務や責任ばかり先走り均衡を欠いた諸外国から見て日本や日本人は魅力的に見えるから日本アニメに人気が出るのかもしれません、そういえばイタリアへ行った時にTVで日本のアニメを放送していましたが、解釈の違いでしょうか?吹き替えの女性の声がやたら色っぽく、銀河鉄道999のメーテルは未だしも キャンディキャンディの女の子の声もやたら色っぽいので そういう解釈かぁイタリアらしいなぁ と感じた事が有りました。
孫カルチャーの対比は 老害 でしょうか? 能力が低下した現状なのに地位にしがみついている老人、これでは世の中の新陳代謝が低下して世界から負けてしまう原因の一つですから 忖度 はいかがなものかと思いますが、これは神道の考え方なのかしら?二匹の狛犬さんの口の形は あ・うん で阿吽の呼吸 の様ですね。 そのくらい言わなくても判るだろう~ って年配者ほど日常的に使うセリフですね。
推しカルチャーの元祖のAKBを秋元さんが作るきっかけになったのは日本人が株に興味が無くなり投資しなくなったからだ と言っていました、推しの子を作る=投資の銘柄 だそうで、その考え方を育てることで将来株を買ってもらうということが最終目的で日本を元気にすることになる とおっしゃっていました、秋元さんが日本人を憂いたので発案された 大人数のグループ活動なんです。
日本という国は、歴史的なこれまでの社会背景と宗教感からアプローチをして俯瞰的に考えてみると日本の独特の独自性がみえてくるのかな?と私は考えます。
日本の独自性・特異性は2つあると思います。
その1つは、地政学からみてシーパワー(海洋国家)の国。
長きに渡る島国国家の歴史の中で地続きで隣国と国境との戦争・侵略・国家間の政治的牽制の中で戦略的に立ち回らなくてならない対処対応を求められるランドパワー(大陸国家)と比べて、日本は頻繁に領土侵略する隣国と戦いに脅かされる国家危機の回数が少なく、他の国に支配されないための国家を維持し続ける有事の危機が他国と比べて少なかった。
島国国家→国としてのムラ社会意識、変革を敬遠しがちな保守的思想、問題が起きてもとりあえずその場で謝罪して根本的原因の行動に結びつかない「過ぎた事はだからまぁいいじゃん、穏便に」という事なかれ主義のまん延化、そして多くの日本人が【自分自身の頭で懐疑的に俯瞰的に多角的に潜心して考えること放棄して面倒なことは、国のお偉いさん任せにして従えばよい的な自立して思考・決断しない自己思考の放棄】が、集団心理的な甘えの構造(ある種の依存)の要因が1つ。
もう1つは、日本が成り立ってきた歴史におけることがあるのが2つめ。
キリスト教、イスラム教など一神教の国の神と個人、国家と個人の権利が向き合う国とは異なり日本は仏教でありつつ多神教八百万の神を信じ様々な宗教観を日本人なりにカスタマイズして都合よく解釈して取り入れてきた文化的側面。(仏教国でありつつキリスト教のクリスマスやハロウィンをカスタマイズして取り入れたりと)
それと廃藩置県制度が取り入れる前の歴史の意識、価値感、習慣が先祖からDNAレベルまで刻み込まれて今でも多くの日本人に当たり前なことして系譜され続けてる点。
日本は都道府県制導入以前は、各藩(水戸藩、薩摩藩、長州藩など)ごとの裁量にゆだれられてきました。各藩主のお殿様に武士は仕えて己の命よりも【所属する藩の名誉・面子・世間体に何よりも真っ先に重んじて藩全体としての対外的体面・世間体を揺るがす恥や失態があれば切腹・自害しなくてはいけない風習が永きに渡って当たり前に続かれてきた】
そのため己はお国の藩のためなら自分の命を捨てることも厭わない。
その先は考察ですが、日本には世間体はあっても社会がない。
人がよりよく個人が尊重されるべきことよりも真っ先に周りの人の目の暗黙知のような【世間体】ありきでなかなか社会の構造システムをなかなか変えたがらない。内的変化を好まない国民性。→コレが日本のおかしな点に由来しているのではないかな?と思います。
まぁ、あと寛容さがなくなり異様に個々の正義論を振りかざして「オレがアタシが我慢してる正しいコトしてるんだから、オマエも同じ様に従え!」と集団で袋叩きにしたり秘匿性のあるSNSで炎上を煽ったりと悪しき同調圧力が狂ってる程に強い側面も起因してると強く思います。
日本人の個々としては他者をおもいやり労る人が多いとは思いますが…
恥や世間を気にしなくなると、とても楽になりました。
そんな気づきを元に、ちょっと頭をもたげると、近い人たちが叩きまくってきます。
世間も恥も気にしないが、バカなふりして(本当にバカだったのかも、思考が止まっていたし)底辺に甘んじていたら放っておかれていたのに、自分の意見を持つと否定されまくりです。
平均から上の方にはみ出すと「恥でおかしい、常識からかけ離れている」って抑え込まれます。
平均から下にいても、バカにされて弾かれます。
しかも、平均の範囲が狭くてキツイ。
この感覚は、世間の狭い田舎だから仕方ないって思ってましたが、地元を離れたて、大きい街に移り住んだらもっと、その感覚が強いのに驚きました。
私の成育環境がちょっとだけ少数派だからなのかとも考えたりしています。
なんかぼんやりした感想ですいません。
お忙しい中ありがとうございます。
自身は(思春期時代に哲学にかぶれてたのもあって)あまり思考的には、周りから浮いたり変わり者と感じられるのにあまり怖さを感じなかったのですが稀に、ふと例えようのない恥辱に塗れる瞬間があった事を思い出しました。
現状の社会の構図が少しずつ西欧式に変わっている過程なので、そのスピードが制度と合わない人がおいていかれて苦しむのかなと素人ながら愚考しました。
精神的に自立することは大切ですね。日本で社会の一員として生きていくには、甘えの構造からは逃れられないから。
その通りだと思いました。
倒れるまでまったくそんな感じで自己犠牲精神がすごかったように思います。最後はトカゲのしっぽ切りでしたー。
今は身を守るために、無差別に知識を得て自分の利になるやり方で歩んでます。どうしたことか、そうすると周りも利を得る不思議w
ありがとうございます!
私は、割と先進的な通所先に行っているので、努力とか評価されてちゃんとした人が上に行くって仕組みが、もうちょっと普及してると思ってました。割と、今までの仕組みに対して疑問を投げかけるアニメとかもヒットしていると感じていて、多様性が認められるためのチャレンジが盛んに行われているというイメージでした。そうでなければ、私自身やる気がなくなってしまいそうです。
恥は共感性羞恥という言葉がある様に、
共感と関連した感情だと思う。
思考と正しさを求めて考え続けて
できた文化は形骸化して、
結果的に残ったのは
「行動様式」と
「強さを笑いに転化する(馴れ合い)」
なのだと思う。
一方で、だからこそ生まれた
「正しさを考える」人間は、
孤立しやすい。
自分という人間の思考の前提に
日本という社会がある事は
紛れもない事実である。
本議題について以前からナナメの角度で考えています。
日本は美食の国で、四季もあります。美味しさ、美しさに対する民度が高くなるというか繊細になるという土壌はあると思います。
そして「甘い」という言葉通りの味覚と文化の関係です。
ごはんの糖質は秀逸だと思います。噛むほどに唾液と混ざって分解され穏やかで持続する糖分として脳の栄養になる。
そこでごはんのおかずがカギとなります。どの程度の甘味を好むかは家庭によって全然違う。
例えばたまごやき一つにおいても、砂糖入りの甘い卵焼きが好きな人もいれば、出汁の旨味いっぱいの出汁巻きが好きな人もいれば、たまごそのものの旨味が好きなプレーンの人もいる。
煮物でも砂糖と醤油の割合は一応1:1が黄金比ですが、みりんを足す人もいれば砂糖少な目ORいれない派の人もいる。
昔の人、というかひいおばあちゃんは料理がとても上手でしたが全体的に甘い味付けでした。全部に砂糖を入れていました。
おじいちゃんは砂糖たっぷりのすき焼きがご馳走と長い間考えていましたし。
家族は倦厭して、おじいちゃん専用すき焼きを別に炊いていました。
今の自分の食生活といえば無糖飲料を買うことがほとんどです。
夜はご飯を抜いて苦いビールを飲み、お酒に合うたんぱく質多めの食事をしています。(現在は断酒中ですが)
何が言いたいかというと、振り返ってみて「甘味」から遠ざかっているなと。
bitterな部分をビールで肯定し、大人ぶっていたのかも知れない。
「甘味」との付き合い方、摂取量のコントロールがしっかり出来る事が本当の自己管理かもしれません。
なるべく穏やかで上質の糖分を取っていこうと思いました。自己完結。
母子関係の拡大、というのは、あるような気がします。
「甘え」という言葉自体は必ずしも悪い意味ではなくて
子どもが十分に甘えることができてると、親との健全な愛着が育ち、
成長してからも、周りの人たちとの信頼関係が築けるのですが
親から無条件に甘えさせてもらえないと、愛着障害になり
人間関係の土台が不健全で不安定になってしまいます。
母親自体が愛着障害を持っていたり、発達障害を持っていたり
父親との関係が悪いせいで母子密着になって共依存親子になってしまったり
色々なパターンはあるでしょうが
何かしらの理由で、十分甘えさせてもらえなかったというのがあると思います。
依存症の当事者会や中間施設などでは、
初期のメンバーに対して赤ん坊のようにケアすることをしたりします。
十分甘えさせてもらった人は、自然と自立していくこともあれば
あいかわらず周りに甘えたままで、回復しない人もいます。
どこがどう違うのか、さっぱりわからないですが。
甘やかす人もいれば、
甘やかすのは良くないという意見で厳しくする人もいるしで
いろんな意見の人たちがいることで多様性を持ち、
バランスをとってるような気もします。
甘えてる人も、周りから見て反面教師になってることもあります。
最近の悩み「(自分の)子どもと遊ぶのが苦痛(元保育士なのに 笑)」があり、何かヒントが欲しいなと思い益田先生のチャンネルに久しぶりに来ました。
忖度文化...「甘え」...なるほどなるほど...親と子の関係も忖度、甘えありますよね。
子ども目線(忖度)「忙しく家事をしてる母、仕事で疲れてたり休みの時に好きなことをしてる父・母←今は忙しいから話しかけない方がいい、仕事で疲れてるし、お父さんお母さんもやりたいことがあるからさせてあげよう」
親目線(甘え)「子:お父さんお母さんと遊びたい←あなた達のために仕事して疲れてるから、あなた達のために家事をして忙しいから遊べないの分かるでしょ?」
みたいな感じですかね...上手く言えないですが。。。
打破したいなー。
考えます。
いつもヒントを下さりありがとうございます😊
難しいですよね
日本って
村八分や忖度は海外から理解してもらいにくい部分はあるだろうし
過労死レベルでなくても仕事に追われて
プライベートの充実がなく、家事育児に十分気が回ってない人が多いと感じてるし
そういう大人を子どもの頃からみてると
それが当たり前で
その当たり前に苦しむ人が精神疾患者であり
発達障害に該当する人たちだと感じています。
最初の「権利と義務・責任はセット」のところで早くも抵抗を感じてしまいました。それらの概念がどのように形成されていったかという「経緯」と、今現在、それら(権利、義務、責任)の概念がどう位置付けられているかは別の問題です。先生は「経緯」を根拠に「権利と義務・責任はセット」と仰っていましたが、権利と義務は「対の概念」ではあっても、行為者が同じである必要は必ずしも成り立ちません。子供の権利にある「教育」について、義務を負うのは国であり大人ですよね。例えば、働けなくて税金が納められない人は市民権が他の人より制限されてよいかというと、そうではなく、どの人にも等しく認められるべきものというのが人権の性質の一つだと私は認識しております。おそらく、先生にとって重要な点は「対になってるよ」というところであって、「セットだから義務を果たさないと権利は得られないよ」ということではないのでは?
真を突いた動画をありがとうございます。私自身日本に住んでいながら常に違和感を感じて生きています。今子育てをしながら感じることが多くあります。私は、階級文化(士農工商+部落)が出来てそれが根付いてしまっているのがどこかでねじれを生んでいるのではと考えます。管理する側がやり易いように作ったシステムにより強い差別意思が生まれ、強まりすぎからと国指導で道徳教育で差別はいけないと教え、トップダウンで何とかしている様に見えます。これは教育全体にも言えると思いますが、『子供は何も分からないから教えてやるものだ』と言った雰囲気を(特に地方の)教育委員会とかから特に感じたりします。子供は一人の人間で考えを持ち感情を持ち、尊重される存在であると言うことを前提にした教育に変換しないと、今までの繰り返しなるような気がします。今の大人は自分で考えて動くのではなく教えられた通りに動いてきた人がほとんどで、子供は大人に従っていれば良いという圧力を大なり小なり持っている気がします。それが社会全体にどんよりかかっていて、それを当然としてきた人は否定する考えすら浮かばないのが大元ではないかと私は思います。忖度も甘えの文化も服従関係も、今の日本の教育システムを少しずつでも変換していかなければなかなか改善しないような気がします。
個人は ◎ 個性は ✕ という印象。
「 笑顔 」には 個性 が表れます
幸せの表現🙂
周りの方々の「 笑顔 」は
個人的には嬉しいのですが
「 他人の笑顔 」に
嫉妬をし嫌悪される方が
多いと感じ、おかしいところ
だと日々思います。
自己研鑽を心かけ幸せな
笑顔になることが僕らなりの
復讐です😀
有難いお話でした。
自分の常識が通じない相手と会話しなければならない個別具体的な状況に対応するための、普遍的なメソッドを会得したいのです。
「甘え」「甘える」は確かに難しいですね。私は「be spoiled by one's ○○」を使っております。
ご参考まで。
日本人は「ずっとお母さんの胸の中で眠っていたい」という願望から抜けられないんだと思います。
最近、先生の動画を見ていて自分は自閉傾向があるのかも知れない、と思い始めているアラフィフです。
ちょうど昨日、駅前でドラえもんのグッズ販売をしていて、大人ばかりで賑わっているのに驚きました。色味が薄青でシックになっていても、えっ?ドラえもんに興味あるの??
って。
いや、子どもや孫に買うのかなと考え直しましたが、あれは推し活だったんですかね。
私は多分あまり他人に興味が無いほうなので
もしかしたら恥を感じにくいのか、
そういうもので癒やされたい、という感覚が
昔から無い。
今日の先生のお話と自分を関連づけるのも、無理があるかも知れませんが発見でした。ありがとうございました。
おもしろい。別視点からのモノの見方や考え方で、すごく勉強になりました。自分が当人だと客観的にみれないので、なるほど...となりました😊日本人は遺伝的に恥を感じやすい民族だと聞いて、なんだか安心しました...
社会学大好きなので、ワクワクしました!!!益田先生が議論しようと言ってくれたので意欲的に視聴したのですが、まとまりません。笑
日本は曲がりなりにも「先進国」でありながら、国際的認識とはしばしば感覚がずれていて「先進国」としては致命的だなあと思うことがあります、、やっぱり島国だからムラ社会というか閉鎖的なんでしょうかね。。
興味深いです
私の場合の話になってしまうのですが、現状に対して批判的だった頃は変人として扱われました。そこから、日本社会における一番スタンダードな普通の人になりたいと思いまして、私は忖度をできるように訓練しました。逆説的で申し訳ないのですが、私は忖度ができるようになってから、自分に自信がつき、付き合える人の幅も広がりました。一方で海外の考え方もどんどん流入しているのはいいことだと思っています。
外国と比べた事はないんですけど「甘え」っていい所はひとつもないです
親切にするっていい所ですが、受ける方がそれに甘えてしまえば人としての成長も止まりますよね
なので「甘え=無責任者」だと思います 忖度も無いほうがいいでしょう
助けてほしければ勇気を出して 助けて下さい と声に出す必要がありますね
前回に続き、興味深い動画ありがとうございます。遺伝的に、社交不安型障害?←言葉間違いかな。この話、もっと聞きたいです。また、恥に対して弱い文化、社会ってすごく感じます。英語がなかなか皆さん上達しないのも、間違えたらどうしよう、恥ずかしい、なんでは?私も、最初はそうでしたが、ドイツ語学校で、ドイツ人教師のコミュニケーションしてくれ、で、外国語は、コミュニケーションのツールなんだと。それからは、多少間違えても、とにかく話す、自分の思いを発信することに重きを置くようになりました。その後仕事等で、英語を使って行く中で、翻訳に携わるようになりましたが、最近、つくづく、言語に縛られるってこと、考えます。日本語にも、より興味が湧いて、普通に使っている言葉の語源や、英語に直すとしたら、何だろうとか、しょっちゅう考えてます。アイドル文化って、日本的な感じがしてましたが、韓国にもあるみたいだし、うーん?また、教えてください。
自国批判って愛国心傷つくからあまりしたくないと思っていましたが、社会の膿に傷付けられてきた人々と直接向かい合ってきた益田先生が解説してくださるなら良薬口に苦しのような感じがしていい勉強になります。
日本は「幼さ」や「ピュア」なものに価値を置くようなところがあります。
巫女など宗教的にもそうですし、サンリオのキャラクターなどもそうだと思います。
新卒一括採用もその影響を受けた形のように思いますが…それはとても飛躍しているようでしていない面があるはずなので、奇異ですね。
忖度もとても日常的で、指示していないのにサービス残業をするとか、無意識的にも行うものもある気がします。
主体性を発揮すべきではないところでは発揮しないことが社会性として求められている気がします。
ちょっともう複雑すぎて空気読めない私にはよう分からんですが…
辛くて最後まで拝見出来ませんでした。申し訳ないです。
生活保護受給者ですが、その場合「義務と責任」はどうなんだろうとか、苦しくて悲しくて抱きしめてもらいたい気持ちもありますし、「ここまで追い詰めたお前が悪い、だから〇でやる」って思うことも多々あります。
「甘えの構造」が思っていたより広かったです。
上下関係は仕事の内容にのみ働くのが良くて、上が下を思い、下が上を尊敬するような愛情関係(馴れ合い)はあまり必要ない、という事か…冷たくするということではなくてね。
考えましたが、おっしゃること実際にはすごくあると思います。忖度した方が評価される世の中ならば、忖度するしかないのでは?どうすればいいのでしょうか。
人権は誰かが勝ち取ってくれた物だとは、分かっていましたが、今の時代の日本では全国民に人権があり、それが守られるのが当たり前だと思っていました。
日本の社会において権利と義務・責任が対になっているとの認識が薄いという印象は自身の経験からも感じるところが多いのですが、権利を受けるために義務・責任を果たさないといけないという考え方を障害者差別(役に立たない障害者は要らない、などという)などに安易につなげてしまう傾向や可能性もあるのではないかとも思います。国家との闘争を経て権利を勝ち取ってきた西欧社会などにおいては、このあたりはどのように考えているのでしょうか。
子どもアイドルの美化というのがありましたが、大人(特に女性)自分の年齢を内緒にしたり若く言ったりするのが当たり前になっていますよね。これもそこから来ている日本独特なものなのでしょうか。
私は歳をとるのが悪いことと思わないのでいつも年齢を公言しています。日本の文化なのかもしれないこの当たり前があまり好きではないです。
私の子どもの頃は、こんなに愛国教育なんて無かった。むしろ逆だった。
動画ありがとうございます。👙🤱👖🤱🩳🤱🩲🤱👙🤱🩱🤱🧳🤱
権利と義務がセットということは、例えば精神障害などで勤労の義務を果たせない人に、権利は認められないということですか?
「大人や尊敬への拒否が日本人にある」というご意見は、日本と諸外国を比べた時に感じる違和感に対する答えの一つとして非常にしっくりきました。
例えば日本では、諸外国に比べて外見、内面共に幼い女性がモテがちな現象があります。セクシーで理知的な女性よりも、キャピキャピしてて無知(かのように振る舞える)方が、少なくとも「萌え」や「推し」の対象になりがちです。
あとは、大人になること(性の芽生え?的なもの)に対しても、どこかタブー視されている気がします。どこか恥ずかしいもの、汚らわしいものといった雰囲気でしょうか。今でこそ、色々な方の努力により性教育の重要さが浸透してきましたが…。少し前の教室では、先生が恥ずかしそうに生理や性行為の説明をして、それを聞いた子ども達が大袈裟に吐くジェスチャーをしたり、「サイアク!」なんて騒いでいたものだなぁと思います。大人達にもそういった雰囲気はあって、「どうして赤ちゃんは生まれるの?」という問いの答えを我が子が知ることに対して、関わっていける親は少ないように思います。
「恥と世間」みたいなものも、日本で生活していると気がつきませんが、外の国からするとかなり奇異なものに感じるのですね。たしかに以前「戦場のメリークリスマス」という映画を見た時に、「恥をかくくらいなら腹を切って死ぬ」みたいな事をと言う日本兵に対して捕虜のイギリス兵がドン引きしていたシーンを思い出しました。
今日のお話からはかなり逸れてしまいましたが、動画を見て頭に浮かんだことでした。
御恩と奉公・思いやりと甘え
お互いの愛情関係で成り立つって、すごくいい関係だね。
益田先生の登録者数が、どんどん伸びてる事とか、RUclips等SNSの市場も相変わらず伸びている所などなども、徐々に(益田先生がおっしゃるところの)欧米化して来ているんじゃないかなぁ…と思います。益田先生の場合は、専門的な内容でも分かり易い等、他にも数えきれない程、理由があると思いますが。(忖度ではありません😅)
これからの若い世代の方々は、もっと欧米的感覚になっていくのかも…と思いますし、そうであっても、尊重されていくんじゃないかなぁと思います。少子化ですしね。
社交不安障害の遺伝子があったからこそ、礼を重んじる歴史があって、茶道とか道があって、日本の歴史がある…みたいな感じでしょうか。
気持ちが伴わず、同調圧力によって、世間体に合わせているストレスが、萌え・推し文化(?)とかに繋がっているのかも知れませんね。
ご都合主義と言われるかも知れませんが、良い文化だけが尊重されて残り、うまく融合していける事を願うばかりです。
寝不足の頭で考えましたので、的外れだったらすみません。
おはようございます😊
1人1人の個性をもう少し重視する国になって欲しいです。
とても勉強になりました。ありがとうございます。
マゾヒスティックな復讐心・・
わかるわーーー!
社会人になっても甘えが捨てられず、
いざとなったら🛡️にする自分があります。失敗よりも怖い言葉です
「私は臨床しているからわかるんだ。」は危ないと思います。仕方ない部分もあるかも知れませんが。
自己の死による攻撃性も疑問です。切腹はわかりません。しかし、過労死は過労で脳がそもそも過労を認識出来ないことと、回避優先度が死より仕事が高くなるからと思います。能動的自己死は考えにくいです。
細かいですが、「馬」ではなく「ウマ」です。
確かに日本は権利に義務と責任が共なっていないと感じます。何かあったらすぐ国にしてもらおうとするような考えがあると思う。
終身雇用が当たり前だった事もあり過労死につながっているところがあるのでは。自分より世間体が大事なんだよね。
私も仕事を辞める時に親に責められたけれど自分の命は自分で守らなければと思います。
日本は"正しい事"と"本当の事(真実)"が違っている気がします。って海外で生活した事はないのですが…
「世見」 有りだと思います。 深い意味です!
私自身精神科に通っていますが、動画にある価値観を患者と医者で共有できたら、治療の進み方が変わりそうだな、と感じました。
医者との対話で自分の病気や障害を理解しつつ、この社会をどう泳いでいくかを考える。それが治療のイメージでしょうか。社会はおそらく、徐々にしか変わらないでしょうから。
たぶん自助会で議論されるんだろうなと思いつつコメントに残します。
うまくまとめられなくて長文ですみません。
日本はお互いに思い合う人種なんだけど、不景気すぎて最近は与えるばかりで貰えない飢餓状態にある、バランスが崩れた状態になっているように見えます。
ただ実際は、国とかはいろんな施策をやってるけど国民への届け方が下手で、誤解されてる、不器用な親子関係なんじゃないかと思うこともあります。
政治家が亡くなると讃えられるように、あとから気づくというか。
もっと丁寧なコミニュケーションが必要な気もするけど、こちら側は誤解した飢餓状態なので受け入れるのに時間がかかるんだろうなと。
過労死などの話は、最近も焼身自殺の事件がありましたが、時代劇や、時代劇に影響を受けた作品を見て育っていくので、自然とそういう思考が生まれてしまうのかもしれませんね。。
先生の理想に近づけていくためには、根本から変えていかないと難しいけど、やりすぎると宗教とか怪しいオンラインサロンになってしまうので、塩梅難しい問題だなぁと思いますが、
心が閉鎖的になっていってるこの状態が、少しでもポジティブな方向に進んでいくといいなと思っています。ネガティブビジネスが廃れます様に。
すいません、欧米が全て素晴らしい、という考え方がズレてるという印象を受けました。欧米にだっておかしなカルチャーは沢山ありますし、人権や多様性が大切と言いながら実態として差別は日本以上に過酷です。
益田さんは、海外で働いた事が無くて、憧れだけを持っている学生と同じ事を言っているように感じます。
そもそも、海外だって忖度はありますよ。ボスの権限の強さは日本の比にならないくらい強いですから。
また、自分に対して”先生”っていう呼称を使っていて違和感を感じない、日本の医師も充分おかしいと思いますよ。
日本におかしい事があるのは当然ですが、日本の文化の成り立ちや良さを取り上げずに、欧米の論文や理論への憧れだけで一方的に日本がおかしいという発信をするのは、医師という”高い地位”を持ち、発信力を持っていると自覚している”RUclipsr”である、益田という人が我々”無知な人間”に対して行っている一種の暴力だと思います。
動画、ありがとうございます。
思いやりは、大切ですが、
忖度になるとやり過ぎな気がします。
後は本音とタテマエも似ているような気がします。
私自身、不安が強いのは、バカにされるのが嫌なのがあります。
いい人が、場を和やかにするのは良いですが、周りがイジることでいい人が実は苦しむ構造も多いような気がします。
職場でも気疲れしてしまい、いつもドライな人間関係が良いなと思います!
動画興味深く拝見しました。日本の文化や考え方で特徴的なものとして、「無垢」を尊ぶ、質素といいながら面倒くさがり、があると思います。無垢については女子アナに求められる条件として「処女の床上手」というひどい表現(もちろん比喩)を聞いた事がありますが酷いと思いつつ言い得て妙です。無垢に振る舞いつつ忖度もしっかりやる曲芸みたいな事が尊いとされる。
日本の小説やドラマの主人公は大抵真っさらで無垢。海外は個性的で精神的に大人な場合が多いですね。
自分の考えを強くアピールしたり自分の言葉で主張する事が苦手、恥ずかしい、と思ってしまうのはやはり世界的に見て奇異だと思います。
またそれは歴史的に身についていった思考だとも思います。
しかしだからといって自分軸の言動をすると煙たがられるのも承知なので、ついつい紋切型、量産型日本人を演じてコミュニケートしているんでしょうね、なんて面倒くさい(笑)
興味深い動画ありがとうございます。
•義務意識の希薄さ→公共意識の希薄さ に根ざしているような気がします。
•甘えの文化→内向きの集団をつくりやすい傾向が日本にはあるように思います。某宗教団体とのパイプを持つことが慣例化した某政党など、公共の倫理より集団内の圧が優先しやすいように思います(公共性の希薄さと関連)。
•切腹などのマゾ的な防衛反応→
「江戸時代的」な文化が本当にそうであったのかは少し疑問なので、先生の意見からは距離をとります。
私自身の体感的には、「モラル」や「育ちの良さ」などの相対的な評価で自身の価値基盤を保とうとしている人が多いように見えます。その病的な表れとして「切腹」的な行為はあるかもですね。
•「忖度の文化」→忠孝なんてものは一見滅んだようでいて、先の「モラル」による価値基盤の維持や昨今の「サムライ」的なモノの賞賛によって、案外復活しているのかもですね。なんにせよ、ハードな文化基盤のないサブカル的な忠孝だと思います。
•バカ殿文化→ロラン•バルトだったか、「日本は中心が不在の文化」と言ったのを思い出しました。リーダーには特に実力がなくても、構成員のかすがいとしての機能さえあれば集団が保持できることは実感しました。
神輿、というか構成員が活動するための理由付け•エクスキューションが引っ張ってこれることが日本でのリーダーの価値の一側面かもですね。
•萌文化(推し)→ゴルシいいっすねー。
文化としては特に何も思いませんが、公共の広報やマクドなどの求人に、同様の形式の絵が使われていることには、違和感。
なにか泥臭さや人間であることの不調和が隠蔽されているような気がします。自衛隊も確かアニメ絵使ってた記憶がありますが、その辺どーなんでしょう?
勢いで書きました。乱文すみません、
医師が毎日勉強してるのなら患者も常に勉強して病気を寛解できるように知識をつけるべきだ。
今回も前回に続き様々な視点を示してくれて面白いです。日本は敗戦で民主化した国だから人権や主権者としての心構えが薄いのかなぁ…
人権を軽視する社会より、人が人らしく個々が確立している社会がいいなと思いました(甘えから遠くなってしまいますが)
わたしは逆に、欧州に来てからトラウマのセラピーを受け始めたのですが、心理士さんに「日本の事情の中で培われてきた精神性」を前提にした相談ができないので、かなりフラストレーションがあります。やはり日本で生まれ育った場合、日本人、あるいは日本の事情を本当によく知っている人に、日本語でセラピーを受けるのが良いのでしょうか。自分の感情との距離がとれることでのメリットもあるのかな、とも思いますが。
主体性を発揮することがストレスに感じる
メラニークラインだったかな、を読んだ時に日本は子供を自立させない文化であり、親子関係もその社会に内包されてると感じました。西洋文化の個の自立に対して臨床的にどのように感じてるのでしょう?integrity という単語にまつわる論議をTwitterでしたことがありますが、これも個の自立に関係してきますね。先生と以前やり取りした受動的と言うのも深く関係するように思います。
過労死分かります。毎日のようにサービス残業してますが、死ぬことで恨みを晴らしたいとよく妄想します。
唯一神との対決で強烈に自我を意識する、みたいな西洋からしたら「いろんな神様がいて、守られてる自分」という土台があるのですかね。
でも西洋的な直線進歩史観の面から、萌えや推しが単に未熟な様だとするのは、少し狭い気がしますね。
そのような道もありうる、という例という気がします。
もちろんそういう日本的な弱さの病、どこかで対峙して見つめる必要はあると思います。
推しの話題に関連しますが、ある有名人への反応が全肯定(崇拝)か、全否定(敵対)かのどちらかで、その中間が無いのが日本人の印象です。実際の一人の人間は、いろんな要素を持っているので、あの人は素晴らしい試合をするけど、政治的発言はちょっと〜のように多面的な評価が自然と思うんですが。
馬鹿の皮を被ってる実は優秀な人が出世するのも日本ならではですかね